「ことこ」さんから、とてもあたたかいコメントをいただきました。
ありがとうございます。


おっしゃるとおり、時々「理不尽だな」と思うこともあります。
カレの本心がどうであれ、接する時間は奥様の方が多く、子供がいればなおさら、絆もしくは柵(しがらみ)は強い。
できてしまった柵を壊すには、ものすごいエネルギーがいるし、子供とのつながりはどうしたって一生、切れない。

たとえばの話、会社にいるときに大地震が起きて電話も通じないとなったら、カレが必死で帰って守ろうとするのは私ではなくてご家族のところ。
それどころか、私といっしょにいるときにそうなったとしても、私と一緒に避難するのではなくて、家族のもとに帰ろうとするでしょう。
父親だから。

また、一緒にいないときにどちらかが死んでも、相手に連絡がいくことはない。
死んでしばらくたって、連絡がつかなくなって、不審に思って人づてにたずねて回って、「・・・そうだったんだ・・・」と知ることになる。
それはとても悲しい現実です。
でも、カレの人格と、「別の女性の夫である」「父親である」という属性は、私にとっては別モノで、カレの人格を愛してしまったあとでは、属性を理由に愛情を打ち消すことはできませんでした。


打ち消さなくても、カレと別れて、カレとは別の人を探せばいい。
カレへの想いと、カレとの想い出は、ココロの中の宝物としてしまっておけばいい。
そういう考え方もあるのは知っているけれど、たぶん私はその宝物があるうちは、他の人をまるごと愛することはできないでしょう。


私も、ことこさんと同じように考えて、他の出会いを探していた時期がありました。
それはカレと別れていたときで、別れた理由が「カレの子供たちの幸せを考えよう」だったのでけっこう悲しくて、その反動か、自分でいうのもナンですがすごく真剣でした。
もうこんな思いをしたくない。
大恋愛なんかじゃなくても、何でもない日常を分かち合って、ケンカしたり笑いあったり、「それって人に言うほどのこと?」っていう程度のことでもすぐに話して受け止めてもらえる、そんな関係を作りたい。
そう思って、身近で好意を寄せてくれる男性を見直してみたり、紹介されれば積極的に会ってみたり、今思うと笑っちゃいますが結婚を前提とした出会い系サイトに登録してみたり、人見知りの激しい私にしては、かなりキツイ努力もしてました。


愛は、意思だから。
最低限、人間として好きになれる人であれば、いつか男性として愛することができるはず。
そう思って、なるべくいろんな男性のいいところ、自分にあうところを探して、愛する努力、愛される努力をしようとココロに決めて。


でも、そういう日々が続くうちに、努力でできることにも限界があると悟りました。
まず、私の場合、男性を異性として好きになるまでに、ものすごく時間がかかるのがモンダイで。
最初にそうおことわりしておいても、相手の方は急ぎたがるもののようで。
まぁ、トシもトシなので、無理もないんですけれど。
「いつか」なんて思っていたら、ダメみたい。
だいたい、それが原因でダメになることが多かったです。
ある程度の関係までは進める。
でもどうしても超えられないカベがある。
なのに、ココロの準備ができないうちに、カベを超えることを要求されて。
そんなことを繰り返すうちに、無理しすぎたのか、ちょっと自分が精神的に壊れかけました。
幸い、早いうちにカウンセリングを受けて、立ち直ることができましたけど。


ま、そんなこともあって、無理はしないことにしました。
自然に、異性として好きになれる人が現れたら、そのときは素直に、心を寄せていこう。
キモチの盛り上がるペースが合わなくて、相手が待ちきれないのなら、申し訳ないけど縁がなかったと思うことにしよう。
私を愛してココロの傷も含めて受け止めようとしてくれる人なら、いつまで、とか何ヶ月、とかじゃなくて、私のココロの準備ができるまで、待っていてくれるだろう。
待っていてもらえるのなら、自然にカベを超えることもできるだろう。
そうなって初めて、愛する努力、愛される努力は幸せという実をつけるものなんじゃないかな。
そんなふうに思うようになりました。


私にとって、カレとの関係で悩んでいるときよりも、他の人を好きになろうとして無理をして壊れかけたときのほうが、ナンボか苦しかったのです。
カレのことが忘れられなくて、カベを超えられなくて、相手に申し訳なくて、毎晩自分を責めて、自分で自分が汚らわしくて、そんな自分として生きていくと思うと目の前が暗くなって、眠れなくなって、シゴトにもさしつかえる。
そんなことを繰り返した挙句に、あるときふっと、いっそ一生ひとりでもいい、無理することないんだ、と思ったのです。

結局、カレと再出発することになって、今は愛する人はカレだけだけれど、ときどき「他に好きな人ができたら別れるからね」なんて言うこともあります。
でも、自分ではその可能性は低いような気がしています。完全否定はしませんが。
やっぱり、先にカレの人格を愛してしまったから。
「~である」という属性や、「~できる」という能力や、「~してくれる」という態度・行動は、他の人と比べることができても、人格そのものは世界にただひとつのものですよね。
カレより条件や属性が整っていて、カレにはできないことができて、カレより私に尽くしてくれる人がいても、その人は私が愛したカレではない。
私も、カレといっしょにいるときが、いちばん自然で自分の好きな自分でいられる。
カレがカレであるということだけで、私には十分な愛する理由になる。
そしてカレも私のことをそういうふうに思ってくれる。
それが私の、そしてカレの、人を好きになるときのなり方なのだと思います。


この、「人の好きになり方」(なんかニホンゴがヘンですが)が同じ、というのが、もしかしたらカップルには重要なことなのかも。
容姿が第1条件という人もいる。
仕事や家事の能力が重要という人もいる。
温かい家庭と子供が第一、という人生観が一致すればいい、という人もいる。
いろんな「好きになり方」があると思うけれど、重要なのはカップルのお互いが同じ「好きになり方」で相手を思っているということなのかもしれません。
それが、「価値観の一致」ってことなのかな?
私の「人の好きになり方」は、珍しいのかもしれないけれど、それが一致する人とめぐりあえたのは、幸せなことだと思います。


だから、カレを愛したことで、私は不幸ではないのです。
いろいろ悩んでしまうこともあるけれど、悩みはどんな恋愛でもあることでしょう?
悲しいことも、どんな恋愛でもあることではないかと思うのです。
「そりゃゼンゼン質が違うよ!」と言われれば、それはそのとおりなのですが。
でも、誰よりもお互いを理解し、愛しあえるカレがいて、何でもぶつけられる関係でいられれば、たいていの悩みや問題はふたりで乗り越えられてしまいます。
少なくとも、今までのところは。


これから年をとって考えが変わることがあるかもしれないけれど、人の意見や世間の常識でなくて自分の意思で選んだ「今」の結果なら、受け入れてやりなおすことができると思うし、そうなれるように努力しています。
いちばん悲しいのは、「不本意ながら流されて」選択した「いつかのための今」の結果が思い通りにならなくて、他人のせいにして恨みがましく残りの人生を生きることではないかと思うのです。
だから最後の決断はいつも自分で下してしまいますが、今までにいろんな方からいただいたご意見も、決して心に響いていないわけではないので、そこんとこわかっていただけるとうれしいです。


ことこさん、それから他にも今までにメッセージをいただいた皆さんに、あらためて心から、お礼をいいたいです。(見ていただけるかどうか、心もとないですが・・・)
ホントにどうもありがとうございます。
どーもアタマでっかちでカワイゲのないおツボネですが、ひきつづき見守ってていただけるとうれしいです。
いつか、誰もがモンクなしに「よかったね!」と思えるような、いいご報告ができるといいな・・・


★この記事は、「おツボネ様、「愛」を考える(*u_u*) 」 シリーズとしてピックアップしています。

この記事に (役に立った・おもしろかった等)

アクセス解析